●●● 第4章 花屋修業時代大阪編
63回 [忠告]
母の日は第2日曜日です。
大阪店は日曜日がお休みでした。
ビジネス街の為に土曜日もお客様がかなり少ない為、
私は土曜日の勤務はお休みを貰っていました。
だから5月2週目の金曜日が、大阪店最後の勤務日になりました。
4月の、店のスクール開催の日に
愛媛からお越しの先生に「辞める」事を報告しました。
理由を聞き終えた後、先生は
こうおっしゃいました。
「気持ちは分かるけれども、もう少し辛抱したら?
『店を利用する』 くらいの気持ちでいいんじゃないの?
あなた、尖り過ぎている。」
そう忠告して下さいました。
それでも、私の「辞めたい気持ち」が変わる事は無くて…
大阪店最後の勤務日がやってきました。
最後は、社長に対しての「嫌悪感」は薄らいでいました。
それよりも、「可哀想」という気持ちの方が強くなってきていました。
辞める時、私は社長に忠告しました。
「Yさんに気を付けた方がいいですよ」 って‥
社長はその意味を、多少は分かっていた様な感じでしたね。
<つづく>
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店を辞める時の私にとって、
社長は「可哀想」に映っていました。
白髪で、小柄な人でした。
大手企業の総務部長をこなして来て、
自分に自信はお持ちだった事と思います。
それを、私の様な田舎出の小娘に偉そうにモンクを言われるのは、
忍びなかった事でしょう。
「女というものは、怖いもの知らずです。」
私以外の2人も、この社長に対して、ぞんざいな態度でした。
もし、私が社長の立場だったら、「腹が立ってたまらなかった」事だと思います。
社長は自分が花店をやりたかった訳ではないのです。
再婚相手の若い奥様が「お花好き」で、
どこかの教室に行ってアレンジメントを学び、
そのせいで、ショップのオーナーになったらしいのです。
畑違いの職種になって、
最初は意気揚々とスタートされたと思いますが、
自分の思惑とは、どんどん違う方向に進んでいって、「辛い思い」をされたんじゃないかな‥ と思います。
社長になって、暫くして体調も悪くなり、
すぐに、若くて綺麗な奥様が新社長になりました。
でも、新社長も私達と上手くいく事は無かったのです。
私は、社長に対して、神戸店のAさんと同じ事をしていたのかもしれません。
今更ですが、「申し訳ない」態度をとったと思います。
けれど、あの時の私には、ああするしか無かったのです。
もし社長が、「そんな事など、言っていない」って、最悪なコメントを言わなかったら、
まだ私はあそこで働いていたかもしれません。
そんな、「最悪なコメント」よりも、もっともっと「最低」な事がこの後
「発覚」する事になるのです。
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